山田耕筰年賦
1886年〜1904年1908年〜1915年1920年〜1934年1936年〜1965年
Biography
山田耕筰年賦
1908年〜1915年
1908年 3月 本科卒業。

4月

研究科に進学。
1909年 自作のオラトリオ『誓の星』を小山内薫演出で上演。東京音楽学校分教場補助(唱歌担当)を勤める。
1910年 2月 岩崎小弥太の後援でドイツヘ留学。ベルリン高等音楽学校へ入学し作曲を学ぶ。
1912年 日本人で初の交響曲『かちどきと平和』を卒業制作、他に管弦楽曲『序曲』『秋の宴』、オペラ『堕ちたる天女』(坪内逍遥原作)などがある。
1913年 留学最後の年、ピアノ五重奏曲『婚姻の響き』、交響詩『暗い扉』『曼陀羅の華』を作曲。
1914年
三木露風主宰「未来社」同人となる。

12月

日本最初の交響楽演奏会開催。
1915年 東京フィルハーモニー会管弦楽部第一回公開試演音楽会開催。秋に永井郁子と結婚。翌年離婚し村上菊尾(河合磯代、1893年生)と結婚。小山内薫と「新劇場」を結成。