山田耕筰年賦
1886年〜1904年1908年〜1915年1920年〜1934年1936年〜1965年
Biography
山田耕筰年賦
1936年〜1965年
1936年 レジオン・ドヌール勲章を授与される。大日本音楽協会副会長就任。
1940年 オペラ『夜明け』(『黒船』)を東京宝塚劇場で初演。翌年1月、『夜明け』公演に対して朝日文化賞が贈られる。
1942年 帝国芸術院会員。
1944年 日本音楽文化協会会長。翌年オペラ『香妃』(長与善郎原作)に着手。
1948年 2月 脳溢血で倒れる。
1950年 5月 第1回放送文化賞受賞。
1951年 「山田耕筰賞」を設立。第1回を團伊玖磨作曲『夕鶴』に贈る。自伝『若き日の狂詩曲』刊行。
1954年 『黒船』(『夜明け』改題)上演。映画『ここに泉あり』に出演。
1956年 11月 文化勲章受賞。菊尾と離婚、辻輝子を入籍。戸籍上も耕筰と改名。
1958年 大阪毎日新聞社委嘱『寿式三番叟の印象による組曲風祝典曲』を指揮、初演。
1965年 12月29日 心筋梗塞のため79歳にて死去。秋川市の西多摩霊園に眠る。戒名は響流院釈耕筰。